理解者がいるということ
こんにちは、ハッピーカムカムの大前です。
【慎んで被災者の皆様にお見舞い申し上げます。
被災地の一刻の早い復旧をお祈り申し上げます】
さて、震災当日私、大前が新宿高層ホテル41Fにいて
仕事をしていたことは他ブログ などでも書いております。
そこで、避難所で起きたことで非常に興味深いこともありました。
最初は、一人で避難所で待機していた方も
だんだんと顔色が悪くなり、一人二人と階段から降りていきました。
同ホテルでは、レストランが急遽避難所として設けられましたが、
そこでも、
一人で避難所で待機していた方は
一人二人と階段から降りていきました。
最後まで残った約20名は、
「全員が1組(二人)以上だった」ということです。
感情を共有できる
・怖いよね
・ちょっと気分悪いから横になりたいな
・もう電車動いてるかな
・家族は大丈夫かな
など、自分の正直な感情を目の前に共有する人が
いるのといないのとでは、あらゆる心理的な局面で
これだけ違うのだと思いました。
そこで、改めて思いました。
(ちなみに、私が最後まで残った1組です
)
一人だったら…
もし、私が一人だったら?
多分、相当動揺していて冷静にふるまえなかったかもしれません。
一刻も早く家に帰りたいと、動いていない電車にも足を運んだかも
しれません。
人は、たった一人ではなく
「理解者」がいるのといないのとでは、
幸せを感じるときだけなく、逆の恐怖を感じるときも大きく左右する
ものだと思い
やはり、「理解者の存在」はとても心強いものだと痛感しました。
たった一人でなく、
血は繋がってはいないかもしれないけれど
血の通った心の交流ができるというのは
人生の中で、やはりとても大切なことだな・・・と思いました。
もし、自分に「理解者」がいるのであれば
その人は「お金に代え難い大切な財産」なのでしょうね![]()


















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